小野田寛郎さんを発見した青年の人生も波瀾万丈な件

1: キングコングニードロップ(愛知県):2014/01/17(金) 23:16:15.29 ID:29cRbH650
小野田寛郎さん死去、終戦知らずルバング島30年間任務続行 91歳 自然塾で育成に尽力 戦争が続いていると信じフィリピン・ルバング島に30年間任務を続けた元陸軍少尉で、ボランティアなどを養成する 「小野田自然塾」理事長の小野田寛郎(おのだ・ひろお)さんが16日午後4時29分、肺炎のため都内の病院で 死去したことが17日、分かった。91歳だった。葬儀・告別式は親族のみで行う。後日、お別れの会を開く予定。 遺族らによると、体調を崩して6日から入院していたという。 大正11年、和歌山県亀川村(現海南市)で生まれ、昭和19年に諜報員などを養成する陸軍中野学校を卒業後、 情報将校としてフィリピンへ派遣。20年の終戦後も任務解除の命令が届かず、ルバング島の密林にこもって戦闘を続け、 49年3月に任務解除命令を受けて帰国した。 50年にはブラジルへ移住し、牧場を開業。平成元年には小野田自然塾を開設し、ルバング島での経験を基に キャンプ生活を通した野外活動などでボランティアの育成などに尽力した。近年は都内で生活し、国内各地で講演を行っていた。
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1389968175
戦争が続いていると信じフィリピン・ルバング島に30年間任務を続けた元陸軍少尉で、ボランティアなどを養成する
「小野田自然塾」理事長の小野田寛郎(おのだ・ひろお)さんが16日午後4時29分、肺炎のため都内の病院で
死去したことが17日、分かった。91歳だった。葬儀・告別式は親族のみで行う。後日、お別れの会を開く予定。
遺族らによると、体調を崩して6日から入院していたという。
大正11年、和歌山県亀川村(現海南市)で生まれ、昭和19年に諜報員などを養成する陸軍中野学校を卒業後、
情報将校としてフィリピンへ派遣。20年の終戦後も任務解除の命令が届かず、ルバング島の密林にこもって戦闘を続け、
49年3月に任務解除命令を受けて帰国した。
50年にはブラジルへ移住し、牧場を開業。平成元年には小野田自然塾を開設し、ルバング島での経験を基に
キャンプ生活を通した野外活動などでボランティアの育成などに尽力した。近年は都内で生活し、国内各地で講演を行っていた。
産経新聞のインタビューに答える小野田寛郎さん=2008年6月、東京・大手町(中井誠撮影)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140117/trd14011709400006-n1.htm
経歴
1969年3月
主にヒッチハイクでアジア各国を巡ったのち、中近東・ヨーロッパ・アフリカ大陸に至る放浪の旅に出る。
1972年12月
一時帰国。
太平洋戦争終結後も、終戦を信じずに帝国軍人としてゲリラ活動を展開していた残留日本兵の小野田寛郎に逢うため、フィリピン・ルバング島に向かう。
1974年2月
小野田との接触に成功。ルパング島には日本語が話せる原住民が多かったため、日本語が話せるだけでは日本人と判断されなかったため
初対面の際には小野田に銃を向けられて発砲される直前だったが、毛の靴下にサンダル履きという原住民にはない珍妙なスタイルであったため、事なきを得る。
この接触により、小野田の救出が現実味を帯び3月に小野田は帰国。
かつて「パンダ・小野田さん・雪男に会うのが夢だ」と語っており、最後に残った「雪男発見」に情熱を注ぐ。
1975年7月
ヒマラヤ・ダウラギリ群の南東稜コーナボン側斜面の4200m付近に5頭の類人物を望遠観察したと主張。
1978年
結婚。結婚後も定職に就くことはなかった。
1986年11月
ヒマラヤ・ダウラギリIV峰ベースキャンプ附近で遭難。
1987年10月7日
遺体発見。享年38。
http://ja.wikipedia.org/wiki/鈴木紀夫
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関係者の言葉
鈴木つね子(母親)
「よかったなと思いますよ。いいじゃないですかねぇ、自分の好きなことやって」とテレビ番組で語っている。
小野田寛郎
鈴木の死について、「死に残った身としては淡々と受け止めているが、友人の死は残念だ」と語っている。小野田は慰霊のためにヒマラヤを訪れている。
冒険家って事は肩に鞭巻いてるんだよな?
小野田氏って終戦後も生きてるって分かってたの?
それなのに29年も放置してたの?
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普通にいそうなプー太郎の経歴
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銃だけは何時でも撃てる様に、手入れはきちんとしてたんだっけ?
弾薬は、盗んだ308ウインチェスターを使える様にしてたとかなんとか
まー、東欧とか南米とか東南アジアとか徘徊してる腐れバックパッカーよりはいい人生
あいつら目が死んでるし
「真っ直ぐ自分に向かってくる弾丸は避ける事ができる」
ニュータイプだろ
そういや、遭難した日本人の冒険家でまだ遺体が見つかってない有名な人いたよね?
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1984年2月12日、43歳の誕生日にマッキンリー世界初の冬期単独登頂を果たしたが、翌2月13日に行われた交信以降は連絡が取れなくなり、消息不明となった。3日後の2月16日小型飛行機がマッキンリーに行ったところ植村と思われる人物が手を振っているのが確認されたが、天候が悪く、視界も悪かったので救出することができずに見失ってしまった。ただし、最終キャンプに大量の装備が残されていたことから、誤認である可能性が高いと考えられている。その後明治大学山岳部によって2度の捜索が行なわれたが発見されることはなく、植村が登頂の証拠として山頂付近に立てた日の丸の旗竿と、最終キャンプ地の跡に残された植村の装備の一部が遺品として発見されるに留まった。やがて生存の確率は0%とされ、捜索は打ち切られた。現在に至るまで遺体は発見されていないため、最後に消息が確認された1984年2月13日が植村の命日とされた。43歳没。
小野田さんは陸軍中野学校出身のエリートと聞いたが
与えられた任務遂行の為に無闇な特攻もせずに耐え忍び生き延びた真の軍人だと思う
正に尊敬に値します
生涯、定職につくこともなく、雪男発見に情熱を注ぎ続け、
それで一生終わったのなら、それはそれで幸せだったと言えるのかも
DNA鑑定で雪男は氷河期時代のシロクマの一種の生き残りって結論が出たよな
母親のコメントが達観してるというか諦めの境地を感じる
「地雷を踏んだらサヨウナラ」の一ノ瀬泰造さんとごっちゃになる
一ノ瀬 泰造(いちのせ たいぞう、1947年(昭和22年)11月1日 - 1973年(昭和48年)11月29日)は、日本の報道写真家。
カンボジア入国以後、共産主義勢力クメール・ルージュの支配下に有ったアンコールワット遺跡への単独での一番乗りを目指しており、
1973年11月、「旨く撮れたら、東京まで持って行きます。もし、うまく地雷を踏んだら“サヨウナラ”!」と友人宛に手紙を残し、
単身アンコールワットへ潜入し、消息を絶った。
9年後の1982年、一ノ瀬が住んでいたシェムリアップから14km離れた、アンコールワット北東部に位置するプラダック村にて遺体が発見され、
1982年2月1日に現地へ赴いた両親によってその死亡が確認された。その後、1973年11月22日もしくは23日にクメール・ルージュに捕らえられ、
処刑されていたことが判明した。
小野田さんと対照的な性格だから、返ってよかったんだろうな
家族が出て来いと拡声器やチラシ撒いても、小野田さんはアメリカの工作だと思って出てこなかった
パンダはなんも珍しくないし
敗残兵ゲリラは捕獲前から存在が確認されてたし
雪男は絶滅種のシロクマで確定して存在が完全否定されてるし
当人は満足だったんだろうが後世から見ると悲惨な人生だな
小野田さんもあれで二桁殺してるからねえ。
数奇な運命だ。
小野田さん、戦後30年たっても銃の弾が残ってたんだw
何発携行してたんだ?銃の手入れとか、できたのか?
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当時旧軍関係者は命令書一枚持って行けば簡単に投降して来たのに、説得とかバカだってよく言われてたよね
そもそも残留諜者が小野田少尉の受けた命令なんだから日本が負けたとかは関係ないんだよな
鈴木さんも38歳で亡くなっていたのか
雪男と出会えると思ってたんだろうな
小野田さん見つけたくらいだから
49年に見つかって帰国したのに50年にブラジルに渡ってるって事は日本に帰ってきても浦島太郎状態で馴染めなかったのかな。
それとも30年たって戦争を忘れた日本人に色々ひどい事言われたのか
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ついに雪男を信じきった男となかなか終戦を信じられなかった男
なんかこううまく言えんがドラマやね
なぜ今のガキがガリガリなのか、その理由が判明した
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この記事へのコメント
全然関心なかったけど現代人と一線をなしてたんだろうなー
普通に考えてヘリの音→ヘリじゃなくて
戦闘機や銃撃音であったり轟音を立てて襲ってくる何かを想起させられたんだろ
アスペかいな
米軍がいた頃はベトナム戦争用に運用されてたから、フィリピン軍にも配備されたのかもしれんし
80歳ぐらいだったか、テレビで出演してたのを見たけど、講演会の原稿をパソコンで入力してた。すげぇと思ったわ。
マスコミが自宅取り囲んでさんざんインタビューとか強要するのに嫌気が差したって話だぜ。
そして相変わらずスマホで見ると横に長いサイトだ…
むしろ>>45自身のほうが悲惨な人生だと思ったよ
すべての判断基準が自分で、おのれとは異なる価値観の持ち主やその生涯に思いを馳せることもできない単細胞かつ硬直化した感性の持ち主だと感じたから
良くも悪くもまともであったらこんなことできん
妄信だけでこんなことは出来ない。そんなことも分からないお前は少なくともハサミではないな。
高校の英語教師にここの出身者(無線傍受担当だったらしい)がいた。
小野田少尉は、軍人として律義に任務(諜報活動)を遂行していた
訳なので、
解除命令を手渡せば、もっと早く帰国したであろうし、
何より20年以上、同隊で共に活動していた小塚氏を
最後期になって死亡(戦死)させることは無かったと思える。
命令書1通は、戦後生まれの我々の想像を超える重みがある。
ただ、純粋に自分自身の敗北だけはどうしても認めたくなかっただけじゃないのかね。
そして、こういう本物の人はやっぱ早死にするんだよな
もし、この人が生き返ったとしても
やっぱりまた出かけて早死にするんだろうね
54467:名無し@まとめでぃあ:2014年01月18日 21:38:48
こんなことを吐く人間が生まれてくる国のために戦って死んだ連中は悲惨だな。