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秀吉って何で朝鮮に攻め込んだの???

秀吉って何で朝鮮に攻め込んだの???
1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:30:00.79 ID:JfsNYGGl0
そんな力あるなら徳川家康を倒したほうがよかったんじゃないの?

1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:30:00.79 ID:JfsNYGGl0


そんな力あるなら徳川家康を倒したほうがよかったんじゃないの?

文禄・慶長の役
1592年から1598年にかけて行われた戦争。
日本の豊臣秀吉が主導する遠征軍と明および李氏朝鮮の軍との間で交渉を交えながら朝鮮半島を戦場にして戦われた。
日本と明・朝鮮連合軍との間で展開したこの国際戦争は16世紀東アジア最大の戦争とされる。
文禄の役は1592年に始まって翌1593年に休戦した。
また、慶長の役は1597年講和交渉決裂によって始まり、1598年の秀吉の死を受けた日本軍の撤退をもって終結した。

wikipedia
文禄・慶長の役




3:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:30:32.37 ID:+1qSBDv80


家康は部下だったし




5:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:30:58.20 ID:jn9zElmI0


>>1

更年期障害 伊達正宗もボロボロになった




7:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:31:34.09 ID:tmk0sHUi0


徳川家康は秀吉政権のトップ2だよ!!
小牧・長久手の戦いで負けたから仕方ないよね

小牧・長久手の戦い
1584年に、羽柴秀吉陣営と織田信雄・徳川家康陣営の間で行われた戦い。
戦況は信雄・家康側に有利に移行したが、秀吉側の蒲生氏郷ら別働隊が信雄領である伊賀・伊勢に侵攻し
その殆どを占領し、さらに伊勢湾に水軍を展開させ信雄に精神的に圧力を加えた。
秀吉は合戦から半年以上経った11月11日に、秀吉側への伊賀と伊勢半国の割譲を条件に
信雄に講和を申し入れ、信雄はこれを受諾する。
信雄が戦線を離脱し、戦争の大義名分を失ってしまった家康陣営は11月21日についに兵を引いた。

wikipedia
小牧・長久手の戦い




8:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:31:34.79 ID:RNMC0MDP0


戦がないと武士達が路頭び迷うから

12:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:32:55.34 ID:JfsNYGGl0


>>8
外征が武士の雇用対策だったってのは知ってるよ
だからこそ家康を攻めるべきだったってこと


18:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:35:48.96 ID:tmk0sHUi0


>>12
家康とは既に戦ったじゃん。そして戦闘で徳川に負けた

平和になってから国内でさらなる争いを起こしたら一身で成り上がった秀吉の
統治能力なしと見なされて謀反が起こる意味なし


19:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:36:08.72 ID:JeMVobltO


>>12
家康は秀吉政権No.1の重臣だぞ

自分の政権を自分で崩すのか?


23:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:40:06.88 ID:JfsNYGGl0


部下だろうがなんだろうが、がんがん取り潰しすべきだったんだよ。
っていうかキレものの秀吉ならそれぐらいわかりそうなもんだけどな。
そうやってでかい勢力をなくしていくのは権力者として当たり前。

>>19
自分が死んだら家康がのっとるだろうってことぐらいわかるだろ


28:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:42:51.96 ID:tmk0sHUi0


>>23
>がんがん取り潰しすべきだったんだよ。

秀吉が唐入りを目指したのは↑こうゆうことなんだよ


32:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:44:25.10 ID:JfsNYGGl0


>>29
だからこそ徐々に弱体化→反乱を起こさせて取り潰し(例:北条)ってすべきだったんじゃないかな


34:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:46:10.37 ID:lxyugAwU0


>>32
(例:北条)の意味が分からん


39:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:48:08.59 ID:JfsNYGGl0


>>34
北条は反乱起こさせた、っていうか、まぁ力技で潰したじゃん。


48:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:52:20.04 ID:lxyugAwU0


>>39
反乱起こさせたも何も、そもそも支配下ですらない
惣無事令と関白って立場を利用していちゃもん付けて攻め込んだだけ


58:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:55:46.33 ID:JfsNYGGl0


>>48
だからそのいちゃもんを家康にやるべきだったんだよ。
いくら家康が表面はいい奴でも領土が巨大すぎるし、人望があるからこそ危険すぎるた。





11:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:32:44.59 ID:ydfdETs40


なんで北海道行かなかったのか不思議

35:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:47:18.37 ID:NQKFKejq0


>>11
当時の関東は超ド田舎
東北は秘境
北海道は魔界
それよりは交易もしててとりあえず人が住んでることがわかってる大陸を攻めたほうが心情的にはマシ


41:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:49:55.65 ID:Bxlesvsz0


>>35
おまえw何時の生まれだよww

東北は渤海国と交易あって栄えてたぞ


46:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:51:10.01 ID:Bxlesvsz0


>>35
関東にしても鎌倉以来栄えてるぞ





17:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:35:39.68 ID:BNBmzIDD0


最近は割とマジで家康のこと信用してたんじゃないかって説が俺の中で有力になってる




21:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:36:22.44 ID:WpZvhbHv0


当時の通信手段、移動手段(手段=技術)を考えると無理ゲーってのは誰でも分かる事だった・・・
ちょっと脅せば降伏すると思ったんだろうかね?




25:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:41:26.47 ID:VTJDEZdf0


んなことしたら反乱来る

27:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:42:12.83 ID:JfsNYGGl0


>>25
反乱おこさせてで家康を潰せば、すべてうまくいくじゃん。


31:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:44:18.71 ID:wRAab7WH0


>>27
じゃあ家康>朝鮮
だったんじゃないの

家康潰すのがいいとは俺は思えないが


71:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 21:01:57.00 ID:IUieR+2y0


>>27
他の家臣はどうすんの?
自分の重臣をつぶすことは同時に
家臣の信頼を得られなくなるんじゃなくて?
一人で国を治めるなんてはできないし
どうしても家臣というのは必要なんだけど
その家臣が居なくなってしまうとまずい





33:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:45:03.23 ID:ZZpZyjqA0


へうげものを読んだらいいと思うよ



65:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:59:55.69 ID:s6mrAOEH0


>>33
あの物語はフィクションにて候





36:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:47:20.22 ID:2nFnrA5A0


部下に新しい領地をあげないと心が離れると思ったから
ソースは華のけいじだから間違いない




38:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:47:48.91 ID:VTJDEZdf0


1は家康が相当気になるようだから

当時の秀吉と家康のパワーバランスを
細かく考えていくといいのかもしれない

45:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:51:00.72 ID:JfsNYGGl0


>>38
え?家康って領土だけだと豊臣より多いんじゃなかったっけ?
しかも朝鮮に渡海せずに戦力的にも無傷だったって聞いた気がする
超危険分子じゃない?


55:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:54:49.64 ID:wRAab7WH0


>>45
有能といっても朝鮮攻めるころには理性なんて軽く吹っ飛んでますしおすし

武将の嫁に夜這いかけたり





40:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:48:54.18 ID:BNBmzIDD0


後からこうすべきだったって言うのは簡単だからな
歴史上たくさんの権力者がするべきことをせずに失権してる
それだけ当事者には分かりづらいってこと
さっきも書いたけど秀吉は家康のこと結構信用してたんだと思うよ
ちなみに根拠はない

45:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:51:00.72 ID:JfsNYGGl0


>>40
秀吉ぐらい有能なやつなら、そんな安直に信用しないと思うんだけどなぁ。
黒田如水だって信用されないぐらいだぜ?





42:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:50:13.92 ID:NQKFKejq0


秀吉って家康の子養子にしたりして人質取ったりしてなかったっけ?

61:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:57:28.83 ID:Gw4Cm+5L0


>>42
秀吉も家康に母親と妹だか、人質に差し出してたような
で、家康が
「秀吉マジだな、逆らったら戦になる。こっちも周囲は敵に囲まれてるから仕方ないか」
という流れで家臣になった

というイメージがある





43:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:50:28.15 ID:vdOHgmzs0


朝鮮どころか明や天竺も攻めたかったんだろ
そりゃ夢も見るさ、あそこまでうまく行ったら




44:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:50:46.04 ID:CSy/OLlc0


死ぬ前に秀頼を補佐する五人上杉・毛利、宇喜多、前田、徳川を選んでたろ
あれ徳川の力を抑えるために五人にしたらしいぜ
秀吉は警戒してたけど徳川を潰す大義名分を遂に得られなかったんじゃないか

51:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:53:16.38 ID:JfsNYGGl0


>>44
大義名分を得ればいいわけだろ。
そんなの国家安康って書いたら謀反!ってレベルの難癖でいいわけじゃんww
なんとでもなるんじゃないの?


57:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:55:08.64 ID:+1qSBDv80


>>51
強引に家康は潰せても他の家臣が黙ってなくね?
下手したら鎌倉みたいなことになるぞ


70:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 21:01:48.99 ID:lxyugAwU0


>>44
あの人選は豊臣政権への貢献度だよ
宇喜多:毛利攻めに呼応(織田家中での地位向上)
毛利:本能寺後いち早く講和(信長の後継争いでリード)
前田:賤ヶ岳で戦線離脱(柴田潰しの決定打、織田家乗っ取りに成功)
上杉:いちはやい恭順(武家として尊敬を集める上杉を配下にすることで他家が従いやすい構造をつくる)
徳川:天下統一の決定打(信長の同盟者を従えることで信長越えをアピール、北条・東北への圧力)





49:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:52:43.65 ID:VTJDEZdf0


力関係っておもしろいもんなんだよ
面子とか見栄とか
そんなもんがすごい重要だったりする

維新の会と太陽の党が合流して石原が党首になったり
この辺の微妙な感じがいかにも日本ぽい面白さ

スレチす真祖




52:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:53:36.27 ID:zgl61BGd0


秀吉って個人は優秀だったけど所詮農民の出だからなぁ
子供孫に戦術を学ばせる能力に欠けてたのと、
何よりお音が子供作れなかったのが一番でかいな




56:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:54:57.42 ID:VTJDEZdf0


当時の関東はまだまだド田舎だな
鎌倉は古都だけど首都機能はほとんどなかった

実質当時の最高の都市は京都で
それは1700年くらいまで続いた

幕末くらいまでも京都と江戸の文化は
同じくらいだった




59:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:56:22.31 ID:0jYDuhGd0


日本統一までは付き合いきれても朝鮮討伐なんか付き合いきれんだろ
幕末でも未開部族みたいなやつらだったんだから戦国時代の頃はもっと酷いだろう

95:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 21:53:22.50 ID:NVO2lmT90


>>59
ずっと思ってたんだが朝鮮の歴史ドラマなんかがTVでやってたりするんだが
ずいぶんとオシャレな甲冑や衣をまとって優雅なくらしぶりを描いてるんだよな

あれマジなんかな?


97:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 22:03:44.11 ID:4OOnQYKy0


>>95
いやーありゃフィクションだよ。昔の朝鮮は染物の文化が発達してなかったから基本白だったはず。染物は明か日本からの輸入品だった。
たしか戦の武具も自分で管理する権利がなかったから(属国だったから)宗主である明からの輸入品のみだったはず。うろ覚えだから違うかもわからん。
もしかしたら武具は金ピカだったかもね、戦場で目立つのは武士の誉れだったし。それは日本だけだったかな?





62:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:57:56.70 ID:ucZXFFuYO


西の方にいるとどうしても大陸に挑みたくなるんだよ
薩長が主体の明治政府だってどんどん向こうに拡張していったろ




64:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 20:59:45.45 ID:VTJDEZdf0


中国を征服するってのは
実は信長の目標だった

そして信長の権力を継ぐ秀吉は
嫌でもそれを継続するというプレッシャーもあった




66:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 21:00:15.25 ID:WpZvhbHv0


初めの話に戻すけど
朝鮮戦争の理由なんて、ほぼ全部推論の域を出ないよ

武士の雇用対策なんて、別に自分が雇う必要なんてないし
国外に目を向けるならシャムみたいに植民政策をとれば良かったわけで戦争吹っかける意味が分からん
金の無駄
対外政策をとる事で国内から目を逸らせるとか、家光の参勤交代のように他大名に金を使わせるためとか、そんな理由なら宗教の推進とか街道整備や治水工事とかの公共工事をやらせればいいわけで

自分の推論としてはシナ人かチョンにバカにされたんだろ
小日本程度を抑えた程度でwwwwwみたいな
引っ込みがつかなくなった、意固地になった、そんなところだろ
深い意味なんてなかったんだよ
あの信長ですら、意味のない墨俣築城に拘ってたじゃん・・・史実かどうか怪しいんだっけ?

74:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 21:05:30.05 ID:OXZQqBbm0


>>66
植民地にするにはまず支配勢力を駆逐せな


76:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 21:07:18.91 ID:WpZvhbHv0


>>74
帝国主義かなんかと間違えてるのか?


83:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 21:14:57.70 ID:OXZQqBbm0


>>76
ガチで植民する方?


96:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 22:03:13.32 ID:5PwJJ6ew0


>>66

バカなの。
推論の立て方が無茶苦茶。

低次元な領域に貶めたいという感情だけしか伝わらない。





67:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 21:01:00.75 ID:/Mabp4OwO


未来の日本を憂いて無謀な賭けに出たんだろ




68:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 21:01:01.93 ID:0jYDuhGd0


これは俺個人の印象だが死ぬ前の秀吉は家康に権力乗っ取られるのは半ば諦めてたと思う




69:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 21:01:21.71 ID:n0DFWuDW0


秀吉は親北条の領民が多い関東に家康を移封させれば弱体化すると考えていた。大阪から遠くなるしな。




72:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 21:02:44.41 ID:VTJDEZdf0


最近見つかった資料で
秀吉の構想が明らかになった

中国を制覇した後の秀吉は
自らは寧波に居城を置きそこから日本と中国を支配する予定だった

天皇は北京に置く構想だった
そしてがら空きの日本を誰に任せるか
意外なことに小西行長なんだよなこれが

75:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 21:06:46.90 ID:wRAab7WH0


>>72
朝鮮攻めでめっちゃ活躍してたじゃないですか

外交で朝鮮中国相手にいい調整役こなしたし
朝鮮攻めの戦闘では加藤清正が一番だったけど


小西行長



戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。
洗礼名アウグスティヌスを持つキリシタン大名でもある。
文禄の役に際しては、小西行長と加藤清正の両名が年来先鋒となることを希望していたが
秀吉は行長を先鋒として、清正は2番手とした。

wikipedia
小西行長

加藤清正



豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍・七将の一人。
清正は朝鮮の民衆から「犬、鬼(幽霊)上官」と恐れられた。
朝鮮出兵中に虎退治をしたという伝承が残り、そこから虎拳という遊びの元になった。
京都市左京区の大徳寺総見院には清正が朝鮮より持ち帰ったとされる朝鮮石を彫り抜いて作られた掘り抜き井戸が残る。

加藤清正




77:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 21:08:04.69 ID:emL0oS680


日本に、部下に与える領地がなくなったからだろ?




78:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 21:08:30.11 ID:VTJDEZdf0


秀吉の出兵は強ちただの無謀というわけでもなかった
朝鮮の役では明の援軍があってようやく撃退されるわけだが
この戦いで明は大きな打撃を受ける

明は1644年に滅びている

もし歴史にループがあるなら
最上のループでは秀吉が寧波に上陸し
天皇が北京からアジア全域を支配する世界があったのかもしれない




80:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 21:11:50.77 ID:+ybTHswi0


1度目は明を制圧しようとしたけど半島でこう着状態のまま休戦
2度目は半島を制圧して明制圧の足がかりにしようとしてたんだっけ




81:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 21:12:16.80 ID:ucZXFFuYO


信長だったら案外力押しはやらずに石原莞爾みたいな考えになっていったかもしれない

85:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 21:19:45.44 ID:lxyugAwU0


>>81
急に石原が出てきてわけワカメだが、あいつが東亜連盟とか言い出すのは権力争い負けてからだぞ


石原莞爾



昭和の陸軍軍人、最終階級は陸軍中将。栄典は勲一等・功三級。
「世界最終戦論」など軍事思想家としても知られる。
「帝国陸軍の異端児」の渾名が付くほど組織内では変わり者だった。
東亜連盟(日本、満州、中国の政治の独立(朝鮮は自治政府)、経済の一体化、国防の共同化の実現を目指したもの)構想を提案し
戦後の右翼思想にも影響を与える。

wikiepdia
石原莞爾




82:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 21:14:55.47 ID:AJ16UFmGO


実は秀吉は未来人なんだよ
だからあの時代のうちに滅ぼしておこうと思った
本能寺も日にち知ってたから早く行動出来たんだよ

86:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 21:21:08.17 ID:ucZXFFuYO


>>82
未来人ならそれこそ家康を何とかしておけよww





88:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 21:28:42.96 ID:4OOnQYKy0


成り上がりだったからなぁ・・・どこが天辺なのか年取って考えて、日本獲ったくらいじゃ天辺じゃないと思ったんだろうなぁ。
対馬、朝鮮間の兵站さえうまく行けばなぁ。朝鮮陸軍想定以上に弱く、朝鮮海軍が想定以上に強かったのが兵站に無理かけすぎたよな。結果的に引き込まれる形になったし。




90:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 21:31:59.03 ID:VTJDEZdf0


秀吉もやめるにやめられなかった面もあったはず
太平洋戦争でもいいところでやめるって出来なかった
拡大で進んできた組織が「やめる」には
強烈に負けるしか方法がないといわれている

ソフ○バンクなんかみてるとそう思う




93:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 21:41:50.51 ID:kHOc/uHV0


マジレスすると
日本中心の新秩序作り
冊封が邪魔だった

冊封
称号・任命書・印章などの授受を媒介として「天子」と近隣の諸国・諸民族の長が取り結ぶ
名目的な君臣関係を伴う外交関係の一種。
「天子」とは
「天命を受けて自国一国のみならず近隣の諸国諸民族を支配・教化する使命を帯びた君主」
のこと。
中国の歴代王朝の君主の君主たちが自任した。

wikiepdia
冊封




73:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/17(土) 21:05:17.62 ID:Bxlesvsz0


戦術好きの武将が天下を取ったら次を目指すのは王道だろ




1001:以下、名無しにかわりましてまとめでぃあがお送りします:2012/11/14(水) 04:55:50.30 ID:5EpTGWOO0


【画像】平野綾ハゲすぎワロタwwwwwwwwwwww

【見たら死ぬ】ドッペルゲンガー体験談

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【画像あり】中国で1万人が暴徒化、警官隊と衝突!! 習近平氏の元勤務地で

私の彼氏が最近冷たい(´;ω;`)

アスペルガーは映像記憶ができる人もいる 教科書は大声で3回読めば記憶できる 便利すぎだろ

激辛ペヤングを3日連続で食べた結果wwwwwwwww

これらの画像で笑わなかったら神wwwwwwwwwww



引用元:秀吉って何で朝鮮に攻め込んだの???
http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1353151800/
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1833:名無しさん@ニュース2ch2012年11月19日 13:30:06

あれだけのオールスター戦国武将なのに
大河ドラマや映画化しないよな‥。
日中韓で映画つくらないかな。
某国の文句とファンタジーが強すぎて
途中で頓挫しそうだが‥。

1834: 2012年11月19日 13:30:12

朝鮮に攻め入ったんじゃなくて、明と戦う為でしょ。朝鮮はただの中継地点。だって7年も朝鮮に和城と築いて明+属国朝鮮と戦ってきたんだよね。で、秀吉の死のお陰で明は助かった(中国の史書に書いてある)日本側の圧勝だよね。

1835:名無し@まとめでぃあ2012年11月19日 13:34:24

秀吉がイチャモンつけるだけの隙を家康は見せなかったってのと
ガチでやると国を二分する戦いになる(負けるかもしれない)から
控えたってのがあるんじゃない?
後は学者が推察してるように恩賞の関係で朝鮮切り取りに行ったって感じだと思う

1836:名無し@まとめいと2012年11月19日 13:36:28

行きたかったのは中国なんだよなぁ
たぬきのカスが翻意を抱かなければ普通に圧勝してたくらいだし
そこまで失策というわけでもないよな

1838:名無し2012年11月19日 13:37:31

農民出身だから、戦を続けることでしか自分の権力を証明し続けることができなかったんだろ

こんなの高卒の俺でもだいたいは予想つくぞ

ネットってバカばっか

1839:名無しさん2012年11月19日 13:38:58

朝鮮出兵はアウェーゲームだったから長引いたけど、ホームゲームなら明なんて瞬殺だろ。

1840:名無し@まとめでぃあ2012年11月19日 13:41:05

あの時代で世界最大の鉄砲保有国、軍事大国、しかも島国の日本だから
ホームとして侵略相手と戦う分には絶対負けないだろうなw

1841:名無し@まとめでぃあ2012年11月19日 13:44:38

淀殿がせがんだから

1842:名無し@まとめでぃあ2012年11月19日 14:01:45

本当に低学歴しかいないんだなVIPって

日本統一時点の秀吉は20万以上の、質量ともに世界一の軍隊を持ってた
しかしこの軍隊は戦争をしないと養えない
養えないと所詮農民出身の秀吉は部下に反乱を起こされて死ぬ
だから「唐入り」を行うしかなかった

そして家康は、うまいこと唐入りを回避して自分の力をたくわえ
よわった豊臣を叩いて天下を横取りした

1843:名無しさん(笑)@nw22012年11月19日 14:11:09

その手のこと言い出したらそもそも天下統一する意味あんの?って話になるしな。日本コンプしたと思えば、次も目指すのは戦国武将あがりの奴にとってはなんも不思議な事じゃないだろ。

1844:名無し@まとめでぃあ2012年11月19日 14:15:27

単純に日本の頂点に立ったから、さらに大きな領土と富を求めたって理由じゃ足りないのかな

1845:名無し@まとめでぃあ2012年11月19日 14:31:00

実は大陸進出は信長の野望で、トレースするだけの秀吉が何の思慮もなく突き進んだてのが真相。

1846:名無し@まとめでぃあ2012年11月19日 14:33:20

そもそもその家康とのガチ戦で負けたのが問題の根だわな

小牧長久手で実質勝ってた家康が恭順してきたわけで、そこにいちゃもんつけたら他の大名がビビる
ビビるだけならいいけど、譜代の臣下が少ない秀吉政権は力量のでかい大名連が雁首そろえて反乱おこしたらあっという間に崩壊してしまうさ

1847:名無し2012年11月19日 14:52:32

スペインがシナを狙っているという情報を得て、「これはいかん、ヤツらに獲られたら次は日本が危ない」と思ったのではないか、という説がある。

1848:名無し@まとめでぃあ2012年11月19日 14:54:38

お前らほんとこういう話題詳しいよな

1849:名無し@まとめでぃあ2012年11月19日 15:02:02

家康は潰しておけってのは結果論だよな
敵対していた毛利上杉長宗我部島津も配下に組み入れてこき使ってるのに

1850:名無し@まとめでぃあ2012年11月19日 15:16:11

当時の世界情勢を考えると、1847のいうスペイン対策は冗談にならないわな。
南米で非キリスト教徒を虐殺しまくってた時代だ。

結果として大東亜戦争と似たような構図になったのが、歴史は繰り返すってことか

1851:名無し@まとめでぃあ2012年11月19日 15:21:22

歴史にむかって ああすべきだった。 はないでしょう・・・

1852:名無し2012年11月19日 15:31:31

信長は明智にやられ、秀吉は家康に足引っ張られ、足の引っ張りあいは昔から何も変わってないね日本

個人的には家康嫌い。鎖国に世襲とか今の日本そのもの。空気読め文化を作った張本人

1853:名無し@まとめでぃあ2012年11月19日 15:50:37

なんでスレ中にスペイン説出てないんだよマイナーなのか
スペインに狙われてた証拠もあるだろ

1854:名無し@まとめでぃあ2012年11月19日 16:00:42

結局秀吉の構想は信長のコピーでしかなくて、肝心の信長の革新的な思想は理解できてなかったって事だろう。
信長存命なら、ある程度の所で旧来の「領地を分け与える」手法は撤廃してたはず。
結果、海外遠征する前に、腰を据えて国力を高めてって手法が取れた。
旧来の統治法で突き進んだ秀吉は、国力高める=家臣の力増大=謀反の可能性増大ってジレンマを脱する事ができないで、あんなグデグデ遠征に終わった。

1855:名無しさん2012年11月19日 16:13:47

※1852
鎖国体制にしたのは家康じゃないけどな。

1866:名無し@まとめでぃあ2012年11月19日 18:03:30

朝鮮出兵の頃、家康は豊臣政権下の№2だったのは席次であって、勢力ではなかった。
というのも、もと三河から遠州まで120-130万石あったところを
8州とはいえ、実質70-80万石の関東に移封して、勢力をそいでいる。
(少なくとも秀吉本人はそう考えているだろう。)
それを開墾に開墾を重ね、300万石まで成長させたのは、
秀吉死後、それも関ヶ原の戦い以降になる。
それまでは、家康はとにかく勢力温存に努めてる。

席次が上だったのは、小牧長久手での軍事的駆け引きのみならず、
政治的駆け引きのうまさを見込まれていたというのもある。

1880: 2012年11月19日 20:58:08

まるで見てきたように自信ありげだな
他人の創作読んだだけのくせに

1882:名無し@まとめでぃあ2012年11月19日 21:50:24

もともと日本近海にちょこちょこちょっかい出してた外国の組織的な海賊が居た。
その時にその海賊が日本の女をさらって犯して殺して船の先端に吊るして見せしめのような事をしょっちゅうしてた。
これを見た日本の武将は、海の向こうから来る朝鮮人は日本の脅威と決めつけ進軍したって伝承。

戦争の理由なんていつも対した理由じゃない。
本当の理由は、戦場の後方に、多くの資源や兵糧、労働力が欲しかったってだけ
勘違いや、適当に気に入らないから攻める。
後は適当に勝ったほうが歴史を改ざんして自分は正しかったんだと主張してるだけ。

1903:名無しさん@ニュース2ch2012年11月20日 03:21:19

※1882
さすがにそれはない。秀吉が明に対して高圧的な外交政策を採ろうとしていたのは揺るぎのない事実。更にその水先案内を朝鮮に対馬経由でさせようとしたんだよ。ぶっちゃけ朝鮮なんて眼中になくって明侵攻の通り道にしようとしただけ。

1915:名無しさん@ニュース2ちゃん2012年11月20日 12:04:32

せっかく天下とったんだから、俺つえぇぇぇぇ!を国際規模でやってみたくなるのも当然のことかもしれない。この前元寇扱ったNスペみたけど日本に攻め込んできた連中の半分は高麗兵だったわけで、「元寇の復讐」っていうとってつけたような大義を掲げた秀吉がちょっとかっこよく思えた。

1916:名無し2012年11月20日 12:17:23

単なる明への通り道
それ以上でも以下でもない
半島への攻勢なんざ、進軍路の地ならし以外何者でもない
それとも半島に攻め込む価値があるとでも思ってんのか?

1918:名無しさん@ニュース2ch2012年11月20日 12:48:08

倭寇の活躍から、明の軍事力が大したことがないと判明、
国内制覇も完了したし、次に外征に乗り出すのはごく普通。

予想外の事は朝鮮の不潔貧乏さで現地徴発が上手く行かなかった事。
これも最初の失敗を元に朝鮮の不潔貧乏を逆利用した
築城持久戦略に切り替えて成功してる。
あの段階を何十年か続けて南部四道を割譲させ、本拠地とし、
本命の明への出兵をする計画。
まあ、時期的にこれから寒冷期にはいるから朝鮮の魅力が益々無くなるから、
結局のところ、史実と同じく自己撤収する可能性は高い

1931:名無しさん@ニュース2ちゃん2012年11月20日 16:35:37

のらりくらりと家康が全ての秀吉のワナを躱しちゃったからねえ。
九州四国の問題が片づいて改めて徳川を潰すべく、北条攻めにかこつけて北条と婚姻関係のある徳川をつつくも、さっさと婚姻解消して、率先して北条の敵に回るし、朝鮮出兵でも、てっきり小田原に本拠置くと思ったら江戸に置くことで新領開拓を言い訳に、出兵を回避して勢力温存しちゃうし、秀吉は踏んだり蹴ったりだわ。
しかも一度戦闘で負けている事が知れ渡っているから、ヘタに強くでるわけにも行かないしねえ。

2225:まほろば2012年11月24日 16:40:44

日本の歴史は日本だけで動いているのではない。世界の歴史をみよう。あの時既に大航海時代が始まっていてポルトガルとイスパニアの世界二分割がなされた。西洋の世界征服が始まっていたのだ。秀吉は国際的な信長のあとを受け世界的な歴史の流れに影響されたのだ。南蛮まで支配した西洋に恐怖を感じたのかもしれない。明治以降の日本が大陸に大きく出て行ったのも同じ理由である。東洋の盟主として明も清も腐りきっていた。大陸と半島が落ちれば日本は独立の危険に晒される事は、マハンの海軍戦略を見なくとも自明である。

2227:まほろば2012年11月24日 16:48:24

石原莞爾について一言
一億総懺悔と言う言葉を最初に使ったのは石原莞爾である。
しかしそれは天皇陛下に対して総懺悔すべきと言ったのである。
進歩的知識人に利用された。
今こそ日本人は天皇陛下に対して総懺悔すべきである。

などてすめろぎはひととなりたまいしか

などてすめろぎは生きよとおおせられまするか

3087:名無しさん@ニュース2ちゃん2012年12月03日 14:20:28

1521年まで、メキシコにはアステカ文明が栄えていたのだが、
スペイン人コルテスの侵略に屈した後は、鉱山開発で過酷な労働を強いられ、天然痘などの流行もあって人口が激減した。
さらにキリスト教宣教師が固有の宗教を破壊し、経済的にも教会が国の資産と土地の3分の1を占有した。
人種の混合政策がとられ、スペイン人の血の濃さに従って、複雑な階層に分化した。
こうした過程で、アステカ文明は根絶やしにされたのである。

実はこれは日本人にとっても他人事ではない。
戦国時代にスペインやポルトガルからキリスト教の宣教師がやってきたときに、
日本が信長や秀吉や家康のようなすぐれた人物に恵まれず、
また民族的なエネルギーも不足していたら、メキシコ人と同じ運命をたどった可能性があった。
現実にアジアでもフィリピンがそうなっている。

イエズス会の宣教師たちは、日本を占領するつもりで来たのだが、
武士の戦闘能力とその動員数、そして鉄砲が日本全土で10万丁も普及しているのに驚き、
本国に「日本占領をあきらめるべし」という手紙を書いた。
そのかわりに狙ったのが、西国の大名を改宗させ、それを手下に使って、
九州の神社仏閣を破壊し、日本の中にキリスト教区を作ろうとした。
さらに明の侵略にも使おうとしたのである。

豊臣秀吉は、明がスペイン人に征服されては、いずれは日本にも魔手が伸びると考え、
バテレン追放令を出し、さらにスペインの明への侵攻を牽制すべく先手を取って明に向かったのである。
それは文禄の役のときフィリピン総督府あてに脅迫的な手紙を出していることでも明らかだ。

歴史の教科書では、こうしたスペイン人の侵略を伏せている。
これではキリシタン弾圧も、明征伐も、秀吉の狂気の沙汰としてしか描けない。

3135:名無しさん2012年12月04日 04:45:40

すごい勉強になった。こうしてみると歴史は必然なのかもしれない。

3608:名無し@まとめでぃあ2012年12月10日 19:29:03

>>97
たしかにあの派手な甲冑はテレビ向けに作られたフィクションだが、その話は清の時代からな。

明との関係は、当時の明皇帝の母親が朝鮮人で兄弟国と扱われてたぞ。
だから、戦後に明が滅ぶほどの戦費を費やしながらも朝鮮を助けたんだよ。

それに、当時の朝鮮の主な敵は満州の女真族で主力の騎兵隊が北方に固まってて、その主力も開戦初期に鉄砲隊で全滅してる。

さらに、朝鮮は今でいう徴兵に近い軍役制度を取ってて、長年の平和ボケから一般の兵卒には防具なし。

防具自体は毛皮と毛皮の間に鉄板を挟む蒙古式だから意外と銃弾にも耐えれる構造。

4180:名無しさん2012年12月16日 22:18:01

スペイン・ポルトガルの脅威は感じてたと思う
大陸進出の動機の中でどれくらいのウェイトかはわからんが
今から想像するよりずっと多く、かつ詳しい情報は入ってたみたいだし
日本人の感性から遠い新宗教を旗印に掲げてやってることは侵略と虐殺と略奪
基本日本より上の科学技術や軍事技術持ってて遠洋航海技術もある
一向宗と大阪の商人連合が組んで侵略してくるみたいなもんだろ
そら戦国大名なら危機感覚える罠
実際キリシタンが増え始め日本人も奴隷として売られてた
まああくまで一因くらい、だろうけど

13862:名無し@まとめでぃあ2013年05月10日 00:14:38

小牧長久手負けつっても奇襲部隊やられただけで犬山城取ったりしてるけどな。
あれだけの領地持ってる家康放置はまずかったと俺も思う・・・

13878:名無し@まとめでぃあ2013年05月10日 02:15:52

*3087
明がスペインに取られちゃったら困るから、攻めこんで明を弱体化させたよ!
ってこと?
なんか目的と手段が正反対のような

16117:名無し@まとめでぃあ2013年06月11日 02:07:11

左翼、在日朝鮮人、韓国が隠していたことが近年になり明るみに。

「歴史通 3月号」の古田博司氏による「あの、朝鮮民族とつき合う方法」から引用。

以下引用(38~9頁)

日本は豊臣秀吉の時に、朝鮮に出兵しているのを知っていますね?
最近は研究が進んできて、日本の占領地にどんどん朝鮮農民が逃げてきていたことが
分かってしまったのですよ。朝鮮の李朝がひどくて、日本の方がずっといいから、
占領地に城下町もできてしまいます。
朝鮮農民は李朝でひどい目に遭っているから日本の方に行けば良くしてくれるということで、
どんどん日本の占領地に逃げ込んできてしまうわけです。
これが事実なのですね。こんなこと教わってないでしょう?
日本は戦争が強いからどんどん勝ってしまい、そこに日本の城を建ててしまいます。
・  ・  ・  ・  ・
おそらく教科書では負けたと教わったのではないかと思いますが、あれは嘘ですからね。
すでに半島の領地の藩分けもしていたと言われているのです。
でも、秀吉が亡くなって、そのまま撤兵することになってしまいました。

引用終了

学校では全く教わっていない、知らない話でした。

18453:名無し@まとめでぃあ2013年07月10日 13:32:47

左翼や半島人、在日が言う、
「朝鮮軍や明軍に圧倒されて、戦闘に負けて後退した」というのとは
カナリ違うのは確かだね。

秀吉軍の食料不足の原因には、李舜臣は関係なく、
文禄・慶長を通じ日本の兵站ラインである名護屋-壱岐-対馬-釜山の
海路は確保されており、釜山の物資が不足したことはない。
文禄では以下が要因。

1
朝鮮軍が弱過ぎて、予想より早く制圧しすぎたこと。
明から李氏朝鮮に日本の手引をしていると詰問された程。

2
小西行長が和平交渉をしながらという曖昧な状態で、
攻勢か防御かの意思決定がハッキリせず、食料の補給が遅れたこと。

3
文禄の役前後の朝鮮は腐敗政治や天災、農奴の脱走により、深刻な食料不足だった。
そのため現地調達もままならなかった。

4
人手不足、地形の険阻さのせいで、食料の遅配のため内陸部の部隊は食糧不足に
悩まされたため(義兵は李氏王朝の倉や民衆からも略奪することも多かった)

また平壌陥落も、小西行長が和平交渉期限が過ぎたにも関わらず、
律儀にも返答の使者を待っている時に、4倍近い明鮮軍の奇襲を受けて
善戦したものの、明軍指揮官の勧告を受け入れ城を明け渡した。
文禄・慶長の役で明軍がハッキリと勝ったといえる
勝利はこの一戦だけで、あとはすべて負けている。
フロイスも、従軍した将士たちから聞き取りしたところ、
唐入りの秀吉軍の死者のうち戦闘による死者はわずかで後は病死と記している。
翌文禄2年からは本土からの補給の開始と突出していた
部隊が南部に後退したので解消。
準備を整えた慶長の役では補給の破綻は起きていないし、
慶長4年8月の豊臣秀吉の死までの間、遠征軍は
予定されていた作戦計画をすべて完遂させていた。

18454:名無し@まとめでぃあ2013年07月10日 13:33:27

慶長の戦いでは、

南原城の戦い・稷山の戦い、巨済島、いずれも日本勝利。
過大評価されている鳴梁海戦では、日本水軍の中型船のみを用いた先鋒に
損害を与えたが、その後は日本水軍の圧力に耐え切れず、
李舜臣は北に逃走、全羅道も制圧され、水軍基地も占領された。

末期の戦いでも、
泗川の戦い (島津軍 7000VS明朝軍29015)島津の報告3万8千討ちとる 明史8万を失うとある いずれも誇張だろうが、大損害を被ったことは推測できる。
順天城攻防戦(小西軍13700VS明朝軍55000)陸海とも多数の死傷者と舟23~39を失うとある 僉使黄世得も戦死
第二次蔚山城(加藤軍10000VS明朝軍29500)権応銖の報告では明軍の被害は数え切れないとある。

もいずれも明朝軍が敗北を喫している
12万以上を動員した一斉攻勢は失敗した。

宣祖実録十月十二日↓
全ての攻撃で敗退した。これにより三路に攻めた明・朝鮮軍は
溶けるように共に潰え、人心は恐々となり逃避の準備をした

南原城の戦い・稷山の戦いも日本勝利。

露梁の戦いも、島津の8000と明軍と朝鮮軍の2万&伏兵という好条件にもかかわらず、
朝鮮軍は李舜臣が討ち死に、明軍も鄧子竜が討ち死に。 島津軍と小西軍を殲滅できず。

以上のことから明朝鮮に負けた要素は探し出せず、日本軍の自主撤退が正解。

44585:名無し@まとめでぃあ2013年12月03日 23:48:27

今さらですけど、マニラ総督宛て秀吉書状っていうのがあってですね。。

67684:カマボコ丸2014年03月21日 15:01:08

信長が生前挑戦にも攻めこむみたいなことを言ってたからって説もある。

84839:名無し@まとめでぃあ2014年06月11日 14:00:08

古今東西、世界中のあらゆる部族、国家は
国内を統一したら外部に進出するの例は
多すぎて、どれをあげていいか迷うくらい。

秀吉の外征を特別視するのは反日在日左翼だね。

89102:       2014年07月01日 21:02:45

朝鮮征伐っていうか、明を攻めたんだけどな
明軍と闘ったわけで

96512:名無し@まとめでぃあ2014年08月01日 02:32:45

慶長の役は全羅道と忠清道の討伐して、
1599年の夏の攻勢準備のために、
半島南部に移動して防衛するのが目的。

日本軍も稷山の野戦、南原、黄石山の攻城戦で勝利を収めている。
また朝鮮水軍の基地も占領・破壊している。

第一次蔚山では少なくとも17000以上の損害を明・朝鮮軍に与えているし、
11万人以上を動員した明・朝鮮軍の3路の一斉攻勢も大破している。

そんな状態で秀吉が死去したので秀吉軍は撤収した。
戦略・戦術ともに秀吉軍主導で進んでいて、
李氏朝鮮の終戦後の記録に、わが軍は倭軍の陣営を一つも落とすことができなかったし
このまま秀吉軍が半島にいたら、もう打つ手はなかったと総括している。

明の将軍も朝鮮王・宣祖に日本軍は秀吉が死んだから帰っただけで、
また強力な軍勢でやってくるから防備をしたほうが良いと進言している。

明・朝鮮側は勝ったとはこれっぽっちも思ってないのであった。

日本の負けにしたいのなら1~2万の日本軍を殲滅させたか、
或いは大きな城を2箇所ほど陥落させたかがないと説得力を持たない。
実際は上に書いたようにそのようなことはなかった。

108570:名無しさん@ニュース2ch2014年09月17日 18:46:39

秀吉が南蛮人と間近に触れるようになった九州平定後からものすごく駆け足で政治・軍事を行っている。そのことがスペインとの対峙という話をそれほど妄想の域ではなかったということを物語っている。
この欧(米)人vs極東アジア人の構図としてこの後ずっと付きまとう、大陸からの日本侵略の脅威と全く同じになっているということは歴史をみていけば簡単に理解できると思う。
日清・日露戦争前のロシアが秀吉の時代のスペインだったということ。
スペインは当時占領下だったフィリピンから日本を攻略できる数の遠征軍を派遣する力はなかった。だからこそ明と李氏朝鮮の立ち位置が日本の安全にとって重要になってたワケ。
明と朝鮮がスペインの支配下になってしまえば、元寇と同じことが起こっていた。日露戦争で日本がロシアに大陸で負けて朝鮮がロシアになっていた・・・など
これらを未然に防いだのが秀吉の唐入りの真実だと思う。

108571:名無しさん@ニュース2ch2014年09月17日 18:50:39

上でスペインにこられると困るから先に明を取るということが理解できていない人がいるけど、そういう人には是非、地政学という学問をオススメしたい。これを少しでも摘めば色々と理解できてくるよ。

110886:サトリ2014年09月26日 20:13:08

宣教師とキリシタンの弾圧を兎角布教してただけなのに弾圧したみたいに現代の価値観とあわせてただの宗教弾圧みたいに語られてるけど、宣教師なんてのは侵略の前段階で内応する自分たちのシンパを作るためだし日本人の奴隷を海外に売りさばいてたりもした、キリシタン達が元からある神社仏閣を破壊して迫害も行ってたっていうし、実際問題ろくな事してない

そんなスペインがフィリピンまで来てる、明を支配下におかれたら朝鮮は属国だから自動的にスペイン領になる、そうしたらスペイン+明+朝鮮の軍隊が日本に攻め込んでくる事になる。だから先手をうって明とおまけの朝鮮を勢力化において置こうとしたわけだ、大東亜共栄圏と同じ発想だね。

165306:名無しさん@ニュース2ch2015年07月31日 04:02:21

その発想は何に書いてあるんだ
そういう考えが共有されていたなら記録が残っているはずだ、日本は比較的記録が残る国なわけだし

167448:名無し@まとめでぃあ2015年08月19日 04:29:49

海外の情勢に脅威を感じたら、確かに外征OR鎖国の二者択一かもね。

168736:名無し@まとめでぃあ2015年08月31日 18:16:35

※165306
スペインのことだけど、ヴァリヤーニの書簡では
【日本やシナはポルトガルスペインの侵略やその手口を警戒している、
彼らもマニラなどを行き来し、それらを見聞しているからである】
秀吉もマニラのスペイン総督府に書簡を往来させているし、
先に上げたキリシタン禁令も、スペインの侵略の手口を聞いたことがきっかけだして
相当意識していたのは事実だよ。

これらの秀吉の行動を見れば、晩年の遠征軍は派遣の動機とか耄碌説なんかも見直しが必要。

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