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元寇 の話って嘘だらけすぎるだろ

元寇 の話って嘘だらけすぎるだろ
1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:13:09.56 ID:MXe9C+qq0
自虐史観強すぎワロタ
元寇 の話って嘘だらけすぎるだろ
引用元:元寇 の話って嘘だらけすぎるだろ
http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1370610789/


1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:13:09.56 ID:MXe9C+qq0


自虐史観強すぎワロタ



3:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:14:15.22 ID:C+Q/yXBW0


使者を片っ端から斬首する幕府さすがっす

4:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:15:19.05 ID:MXe9C+qq0


>>3
片っ端からじゃないよ
斬ったのは明らかにスパイってわかってる一回目の攻撃の後だけ


5:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:15:49.19 ID:C+Q/yXBW0


>>4
ぐぬぬ

お主詳しいな


11:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:20:35.27 ID:HnWJEzZi0


>>5
「使者を切ったから鎌倉幕府は国際常識が無かった!!」とか言う奴いるけど、
他の国でも同じような対応なうえに幕府はちゃんと大陸から情報収集してたっていうね




8:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:18:41.22 ID:IdYYFWYC0


他の国凸も失敗してるし元の遠征軍って弱くね?



9:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:19:41.30 ID:z+s9VuaV0


筥崎宮に確か逸話があったと思う
近所にあるんだけど

筥崎宮
元寇の際に亀山上皇が「敵国降伏」を祈願し、神門に「敵国降伏」の扁額が掲げられた。以来、海上交通・海外防護の神として信仰されている。



10:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:19:49.52 ID:w+WFhLspO


本当は普通に撃退したの?

14:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:21:55.28 ID:HnWJEzZi0


>>10
一回目も二回目も台風はあくまでダメ押しでその前に勝負はついてたそう


21:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:26:33.31 ID:rCJ+wzir0


>>14
そうなんだ
神風のおかげでなんとか撃退したみたいなイメージがあったわ




13:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:21:44.82 ID:5EhKS26x0


結論として我々が勝利し、元は負けた
後のことは基本的には枝葉末節だな
研究すれば面白そうだけど



15:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:22:20.55 ID:LQYHzdCmT


神風がなければ歴史変わってたのか

23:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:26:59.92 ID:6FCDWTiA0


>>15
無くても既に潰滅してたから結果は変わらんと思われ
どの道、軍事戦術と気候は切っても切れないんだから偶然とかまぐれとか
そんな指摘って言うのは全部オカド違いだわな

ナポレオンのロシア遠征とか独ソ戦とか幾らでも事例はあるわけで




20:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:25:45.86 ID:YM6b8jB3O


元は騎馬戦ですし海わたれませんし来たのは朝鮮だし負けるわけない

ベトナムは強すぎ

27:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:29:40.70 ID:QUScl+VL0


>>20
高麗時代の挑戦はそこそこ強いぞ 宋より船のクオリティ高かったらしいし
あとベトナムも正面から元を破ったのは水上戦だよ 陸戦ではボロ負け→ゲリラのパターン
もちろんゲリラ戦で追い出すのはたいしたもんだけどね




30:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:31:53.55 ID:YM6b8jB3O


当時は船は風で動いてた
夏になると西から東に風がふくからこれで日本にきた
日本のなつは台風がくるから二回ともカミカゼがふいた

つまりいつきてもカミカゼはふく

台風と海が日本の最大の要塞ナノデス

36:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:36:24.40 ID:QUScl+VL0


>>30
でも、平安時代とか朝鮮からの海賊襲来で九州が結構な被害受けてるよ
日本のほうからも古墳時代から半島に普通に攻め込んでるし、
日本海は鉄壁!!って意見はあんまり正確じゃない気がする


47:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:41:29.45 ID:YM6b8jB3O


>>36
平安時代とか古墳時代に航行できたのほんまでっか?

冬になれば東から西に風がふくからこっちから向こうへはわかるけど朝鮮はこっちになかなかこれないやろ


54:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:44:09.91 ID:tEacI6cm0


>>47
普通には行き来できないだろ
死ぬ思いしていってきたから遣隋使や遣唐使がすごい偉業なんだから


57:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:46:45.40 ID:QUScl+VL0


>>47
古墳時代に高句麗と日本が戦ったってのは有名な話だし、
朝鮮が混乱してた時期に軍隊や難民が海賊化して九州を襲ったってのもたしか日本の記録にあったはず
普通に避難してくる人たちもいたから日本政府は対応に困ってたみたい


65:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:51:45.18 ID:iz42e5ZeO


>>47新羅の入寇ってひとまとめにされたりもするけど、平安以前から時々侵略には来てるな
日本史で防人ってやったっしょ
朝鮮族だけじゃなくて、女真族も平安後期に刀伊の入寇で襲来してるし




32:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:33:55.92 ID:C+Q/yXBW0


神風は怪しい
日本が朝廷って、すごいって思わせるためにでっち上げた説もあるけど
どう思う?

34:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:35:34.88 ID:6FCDWTiA0


>>32
神風云々が流行りだしたのは江戸時代からとか聞いた気がする


37:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:37:12.26 ID:tEacI6cm0


>>32
西風に乗ってやってきたら
そりゃ台風の季節だし、船沈む事もあるんじゃないの?


43:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:39:22.78 ID:C+Q/yXBW0


>>37
そうなんだけど
元の革新的な兵器に幕府は困惑した
そこに神風が来てなんとか勝った

こう習ったはずだが、神風が決定打と言われたら怪しいと思わない?


52:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:43:03.28 ID:QUScl+VL0


>>43
元軍の爆弾に苦戦したって話が有名だけど、
元寇は重い爆弾を発射機を設置して投げる余裕があるような戦場じゃなかったし、
そのあと日本の武器があんまり変化しなかったのを見ると武器に苦戦したって話は眉唾


56:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:45:18.86 ID:p3LiFqSx0


>>52
音で馬がビックリだとか

最近てつはうは破片手榴弾であったかもしれないって説を聞いた


58:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:47:19.74 ID:6FCDWTiA0


>>56
殺傷兵器かについてはNHKで特集やってたな
色々突っ込み所はあったけど




40:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:38:26.19 ID:LvgdwH+R0


元軍:大船団で一斉上陸&攻撃、1~2日で上陸拠点作ろうとする
  ↓
日本軍、思いの外頑張って、中々前線基地作らせてくれない
  ↓
元軍、しょうがないから一旦船に戻り、ゲリラ的に沿岸都市攻撃作戦。
  ↓
戦線が膠着、元軍は補給がヤバくなりはじめる
  ↓
台風が来て色々混乱。士気低下でいよいよやばい
  ↓
「とりあえずひと暴れしたから戻るよ」と本国に打電。
ボクシングで判定負け確定のボクサーみたいに「勝ったぞー」のポーズで退却

実際はこんなとこだろ。

89:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 23:16:14.31 ID:DJNP7dpx0


>>40

指揮したやつ処刑されてるだろ




42:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:39:13.69 ID:BqZem4TBP


源氏の鎌倉幕府を寝取った静岡の田舎武士は嫌いだから元寇が来てくれて
本当に感謝しています

60:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:48:59.90 ID:C+Q/yXBW0


>>42
比企一族が頑張ってたら結果は変わってたかと言えば難しい

てか京都かぶれに将軍は厳しいかと




59:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:47:35.12 ID:8vPSn0s1O


平安時代に親羅からの海賊かあるいはそれ以上のものが度々やってきた記録が残っているのは本当
遣唐使もよく言われるほど命がけだったんだろうか
航路が変わっちゃう程度で済む場合の方が多い気がする

63:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:51:11.12 ID:6FCDWTiA0


>>59
5回も渡航に失敗して失明までして6度目にしてやっと日本の土を踏んだ
鑑真という唐の僧がおってだな


68:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:53:20.56 ID:8vPSn0s1O


>>63
それも学校で教わった時は強い印象受けたけどさ
失明は渡航と関係無いし
渡航失敗もどちらかというと社会的な理由の方が多いようだし


70:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:58:48.40 ID:6FCDWTiA0


>>68
時期にも依るんだろう
冬の異常な荒れ具合はあの強い寒風から想像がつく




62:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:50:43.85 ID:8vPSn0s1O


元の弓矢って飛距離はどうだったの?
普通に長弓の方が威力が高い上に射程も長くて
おまけに盾に隠れることができて有利に感じるんだけど

66:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:52:55.41 ID:QUScl+VL0


>>62
再現実験では和弓のほうが射程とかは勝ってたらしい
ただ中国の元寇帰還兵の話だと「矢は強いが遠くまで飛ばない」ってある
おそらく、当時は騎射が主流なので近距離での射撃ばっかりだったんじゃないかな




72:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 22:59:41.74 ID:5EhKS26x0


といっても航海と失明の関連性は分からん
そもそも関係ないのかな?

75:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 23:04:21.74 ID:6FCDWTiA0


>>72
色々説は割れるらしい
渡航前からとか引き返す途中の熱病によるとか白内障手術の後遺症とか


80:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 23:08:13.04 ID:5EhKS26x0


>>75
そうかー、まあ当時は医学もほとんど発達してなかったし、
仮に豊富に資料があったとしても分からずじまいだったかも知れんね

兵站に関しては、略奪と植民が前提だったんじゃないかな
あの時代ではままあったことのように記憶している


83:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 23:11:35.55 ID:6FCDWTiA0


>>80
略奪はともかく植民は厳しいかもなあ……
実際、史実で無理だったんだから無理なんだろうけど




73:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 23:01:57.67 ID:STPPJf7Z0


仮に橋頭保を確保できたモンゴル軍が山がちな地形でどうやって軽騎兵を展開するのか

75:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 23:04:21.74 ID:6FCDWTiA0


>>73
どう考えても兵站がムリゲーなんだよな
冬期とか輸送自体が不可能になるし




77:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 23:05:33.47 ID:sw6Pa9Ew0


元寇はほんとに自虐史観の影響強いと思うよ
信頼のおける資料や状況を見る限りじゃ日本が押してたとしか取れないんだけど、
神風や一騎打ちうんぬんが否定されると今度は「なんとかして元軍が本気じゃなかったことにしよう」
って主旨のトンデモ説が 日本人によって どんどん作り出される始末

84:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 23:12:52.82 ID:iz42e5ZeO


>>77天候や武具が元寇の決定的な要素でなかったとは思うし、元は間違いなく本気で来てたとも思うけど、本領全開のモンゴルと戦ったって訳でもないと思うよ




85:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 23:13:25.64 ID:NUxE7A050


元軍ってもうあと一歩で大宰府を陥落させられるところまで攻め込んだのに
何故か船に引き返して行ったんだってな

補給線が伸びるのを恐れたって言うけど
それほどまでに気にするほどの距離なのかなぁ

90:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 23:17:26.61 ID:sw6Pa9Ew0


>>85
大宰府が落ちそうになったって話がそもそも怪しいんじゃなかったっけ


95:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 23:24:08.28 ID:YM6b8jB3O


>>90
当時アジアは田舎じゃないよ日本が田舎なだけで
西洋に攻めたところ今のドイツとポーランドが協力して対抗されたその数なんと二万!!!!

でもモンゴル軍は10万の兵で楽々勝利
リーグニッツ城のワールシュタットの戦いはみなごろしとか死体だらけの戦いという意味らしい(よくおぼえてない)


96:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 23:26:53.37 ID:sw6Pa9Ew0


>>95
わーるしゅたっとのモンゴル軍はヨーロッパ軍と同等かそれ以下の数だぜ
モンゴルの遠征では南宋遠征がダントツ大規模で、その次くらいに日本遠征が来る


115:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/08(土) 00:05:28.63 ID:sYmeqb5MP


>>95俺も蒙古軍の方が寡兵だったと聞いてるよ
騎士団は個人戦なら高い戦闘技術があったけど
蒙古の平地での集団戦々術には歯が立たなかったようだ
実際対戦前はヨーロッパ全土の征服に14年かかると踏んでいたけど
ヨーロッパ側は殆ど駒使い果たしてしまったんでみんな真っ青だったらしい
ちなみに諜報に行ったカルピニは道中「上り坂は殺された
人間の脂で滑って登れな」くて同行した人は殆ど逃げ帰った




86:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 23:13:35.98 ID:YM6b8jB3O


本気じゃないというか本部は西へ西へ攻撃していってるから主力は日本に来てないと思う
だって大国宋を征服するほどの実力なら西のほうにいくでしょ
当時まだ日本は世界じゃ田舎

兵站とかじゃなくて物資は現地調達

94:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 23:22:38.37 ID:iz42e5ZeO


>>86当時のローマ滅亡後のヨーロッパ方面は田舎の弱小蛮族もいいとこだぞ
ワールシュタットでもモンゴルに容易くレ●プされてる
また、当時世界の中心のイスラムで最強だったホラズム朝もチンギスに滅ぼされてる




99:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 23:33:31.89 ID:ZJmPCjyA0


モンゴルの何がヤバイって当時の世界最先進超大国の宋とホラズム朝を打ち破って中華、イスラムの二大最強勢力を蹂躙したとこだからな
陸戦力と正面からぶつかったらまず勝てない

101:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 23:36:52.29 ID:5EhKS26x0


>>99
日本と本気で戦争してたらそのどちらにも勝てなかった、ということになりそうだな


102:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 23:39:35.48 ID:sw6Pa9Ew0


>>99
元軍撃退した後大陸侵攻計画が検討されたんだよな
モンゴル軽弓騎兵vs日本重弓騎兵という夢の対戦カードが実現しなかったのが残念
まあ朝鮮で大量の馬を用意してたらしいから元寇にもモンゴル騎兵来てた可能性はあるけどね


105:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 23:47:35.46 ID:ZJmPCjyA0


>>102武器的なロマンがあるカードだとは思うけど、モンゴルの実績見るに当時世界最強だった事実は揺らぐ余地がないんじゃないかな
騎馬民族相手に海を挟んだ立地での防衛戦アドバンテージが無かったら日本もヤバかったと思う




104:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 23:43:55.06 ID:YM6b8jB3O


おでは信じられん
鎌倉幕府がマジギレの元に対抗出来るなんて

106:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/07(金) 23:48:49.88 ID:sw6Pa9Ew0


>>104
フビライは晩年まで日本征服にこだわってたみたいだし
元寇の損害がでかすぎて東アジア方面の軍事行動に支障が出たともいわれるから
少なくとも二回目は間違いなくマジギレだったんじゃないかな




114:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/08(土) 00:05:22.08 ID:nahWkMaxP


資料も少ないだろうし、色んな解釈が出たりするのは分かる

ただあの有名な、侍が撃ち抜かれてる絵巻物が
実はもっと長くて、あれはほんの一場面だけってのは
ネットで知ったカルチャーショックの一つやわ



121:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/08(土) 00:17:45.64 ID:1crfqZ2UO


まあ、明治以前の日本の場合、対外試合自体が少ないから相対的な強さは計りづらいよな
本格的なのは白村江、元寇、明出兵くらいで、後はせいぜい朝鮮半島からの侵略を返り討ちにしてたくらいだし



125:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/08(土) 00:37:34.78 ID:E29jgQkv0


モンゴル帝国側の武士評
呉莱『隣交徴書』
「今の倭奴は昔の倭奴とは同じではない。昔は至って弱いと雖も、なお敢えて中国の兵を拒まんとする。いわんや今は険を恃んで、その強さは、まさに昔の十倍に当たる。
さきに慶元より航海して来たり、艨艟数千、戈矛剣戟、畢く具えている。(中略)その重貨を出し、公然と貿易する。その欲望を満たされなければ、城郭を燔して居民を略奪する。
海道の兵は、猝かに対応できない。(中略)士気を喪い国体を弱めるのは、これより大きなことはない。しかし、その地を取っても国に益することはなく、またその人を掠しても
兵を強めることはない。」

鄭思肖『心史』
「倭人は狠、死を懼れない。たとえ十人が百人に遇っても、立ち向かって戦う。勝たなければみな死ぬまで戦う。戦死しなければ、
帰ってもまた倭王の手によって殺される。倭の婦人もはなはだ気性が烈しく、愛すべからず。倭刀はきわめて鋭い。地形は高険にして入りがたく、
戦守の計を為すべし」

王惲『汎海小録』
「兵杖には弓、刀、甲がある。しかし戈矛は無い。武士は騎兵を結束している。殊に武士の精甲は往往黄金を以って之を為り、珠琲をめぐらした者
が甚々多い。 刀は長くて極めて犀なるものを造り、洞物に入れて、出し入れする。
ただ、弓は木を以って之を為り、矢は威力はあるが、遠くには届かない。
人は則ち勇敢にして、死をみることを畏れない。」

単に武士が強かったら元軍は大敗した。ただ、それだけのこと。



129:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/08(土) 00:49:53.20 ID:xz06fBgOO


どこかの山で凄い死闘を繰り広げたとか
その酷さから山の名前もそう付けられたと聞いたな

134:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/08(土) 00:57:36.95 ID:E29jgQkv0


>>129
鷹島=白骨山のことか?
鄭思肖『元韃攻日本敗北歌』
「辛巳6月の半ば、元賊は四明より海に出る。
大舩7千隻、7月半ば頃、倭国の白骨山(鷹島)に至る。
土城を築き、駐兵して対塁する。晦日(30日)に大風雨がおこり、雹の大きさは拳の如し。
舩は大浪のために掀播し、沈壊してしまう。韃(蒙古)軍は半ば海に没し、舩はわずか400餘隻のみ廻る。
20万人は白骨山の上に置き去りにされ、海を渡って帰る舩がなく、倭人のためにことごとく殺される。
山の上に素より居る人なく、ただ巨蛇が多いのみ。伝えるところによれば、唐の東征軍士はみなこの山に隕命したという。
ゆえに白骨山という。または枯髏山ともいう」

他にも鷹島は激戦のために首除、首崎、血崎、血浦、刀の元、胴代、死浦という地名も残っている。




130:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/08(土) 00:51:26.44 ID:E29jgQkv0


ちなみに台風は神風でもなんでもない。

一度目は日本側の抵抗で一日で継戦を断念し逃げ帰る途中で暴風雨にあったのだ。

二度目は東路軍が出航して日本軍に連敗して、江南軍と合流したものの戦況を打開
できずに3ヶ月経過。で、台風。
ちなみに日本に上陸する台風は年4回といわれているから、3ヶ月も海上にいたら台風に
遭うのは当たり前。



131:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/08(土) 00:53:17.71 ID:UlLo2Zc10


実は2回ほど元寇の仕返しとして半島に出兵する計画があった
2回とも頓挫したけど



135:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/08(土) 01:02:55.42 ID:UlLo2Zc10


元史を読む限りだとまったく統制がとれてなかったみたいだね >元軍
嘘の報告がバレたことや、元寇失敗のあとに僧侶を使節として日本に送ろうとするも
船員が嫌がって使節ぶっ殺し、あげく代わりに違う僧を送るも日本からシカトされましたとさ、ってとこで終わってる



136:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/08(土) 01:03:43.73 ID:Fx4g1qAG0


東の方に島があるよ程度の認識しかなかったであろう時代に
フビライは何であんなに日本に執着したんだろうね
船の数も兵の数も当時としては破格の量だったんでしょ
しかも三度目の日本侵攻を計画してたって言われてるし
日本に当てた物量を東南アジア侵攻に向けた方が得られるモノも多かっただろうに

139:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/08(土) 01:09:09.89 ID:BIbHweUG0


>>136
一回負けてむきになっちゃったんじゃね?しかしほんとに執着してるよね
元寇後もフビライが日本行くぞ!っつって家来が止めるのが何回もあったらしいし


144:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/06/08(土) 01:19:31.97 ID:E29jgQkv0


>>136
日本は昔から大陸では「豊かな国」という認識が存在していた。
クビライは使節に「日本の君臣の爵号、州郡の名称とその数、風俗、産物」を調査させ
出兵時に諸将に対して「朕、漢人の言に聞くに、人の家、国を取るには百姓土地を得んと欲す。
もし尽く百姓を殺さば徒に地を得るも何に用いん」と述べていることから、噂に聞いた日本の人などの
資源を欲していたと思われる。
マルコ=ポーロの『東方見聞録』にも「クビライ・カアンはこの島の豊かさを聞かされてこれを征服しようと思い、
二人の将軍に多数の船と騎兵と歩兵をつけて派遣した」とあり、同時代の文人鄭思肖も
「元賊は、その豊かさを聞き、(使節を派遣したものの)倭の主が来臣しないのを怒り、土(南宋)の民力をつくし
舟艦を用意して、往きて攻める」と述べている。

元の前の時代から一種の理想像を大陸側が日本に対して持っていたことを知る
のは以下のリンク先を読んでみるのもおすすめ。
http://www.japanology.cn/japanese/book/nihonzo/04/0.htm




婚約者が喫煙者だったと知ったので婚約破棄しようか迷ってるwwwwwwwwww

日本が韓国に負けてる点が一つある…それは

超有名な漫画家たちが描いた「はじめの一歩」

「処 女を失った年齢」を公言している女性有名人の一覧(画像)

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歴史を捏造してるのは韓国ではなく日本だったwwwwwwww

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この記事へのコメント

15941:名無し@まとめでぃあ2013年06月08日 15:49:55

つうか「元は本気が出せなかった」ってそんなんいいわけだろ……
日本侵略しにきたんだから日本の土俵で戦うのは当たり前なわけで。

15942:名無しさん2013年06月08日 16:05:51

赤壁で孔明が祈祷して神風起こした、と言われてるのと同じようなもんだな。実際は孔明が天候を読んで、戦をする日を指定しただけだし。
運で勝てるほど、戦争って甘くない

15944:名無し@まとめでぃあ2013年06月08日 16:27:36

日本の自虐的歴史観なんとかならんかなぁ…自己評価低すぎ

15945:名無しさん2013年06月08日 16:29:14

初期の倭寇が元寇の報復、っつか
沿岸部・島民が略奪にあって貧困化したゆえの
農作物確保のための遠征だったらしいね
農作物だけでなく、拉致られた妻を向こう(半島)で発見したとかも

後に国際海上勢力と化しちゃったけど

15948:名無し@まとめでぃあ2013年06月08日 17:26:41

朝鮮が元の支配に不満を抱いて船に細工した!日本は韓国に感謝すべき!
とか韓国人はマジで信じてる
一方で何故か元寇は日本からの侵略を防衛した戦いとも教えられてる

15951:名無し@まとめでぃあ2013年06月08日 18:56:04

みんな日本史専攻してたのかって思うほど詳しいな

15953:竹林春香2013年06月08日 19:15:29

博多のあるお寺に、元寇の時の投降兵一千名ほどを首はねた太刀が伝えてあって、たまたま盗難に遭っていたニュースで
僧侶さんがきっと帰ってくると思っていました前にもおなじようなことがあり。一家全員がたたりを受け瀕死のじょたいになったそうです。今回はただ一人おばあさんが毎日仏壇に水と
お線香を上げていてそのおばあさんだけが無事で後は
事故死 病死 入院がつづいて原因はあの太刀だとなったようです。錆びていたが太身の太刀でさもありなんという雰囲気
だった。

15954:名無し2013年06月08日 19:35:55

中国人のプライドを守るために捏造された可能性も高いわな。
俺の歴史の授業の先生は日本に向かって流れる海流の季節は台風の季節と一致しているとか言ってたけど、それでもそんなタイミングで台風来るわけないだろって子供ながらに思ったわ。もし台風のせいで失敗しているなら台風対策して絶対また来るでしょ。

15959:名無し@まとめでぃあ2013年06月08日 19:50:39

今なんとかって雑誌で元寇の漫画が連載してるから見てみろ!ちらみかなり本格的だった。

15962:名無しさん@ニュース2ch2013年06月08日 20:14:40

ワールシュタットの戦いは欧州にとっては決戦だったが元軍にとっては一局地戦にすぎなかったって聞いたことあるな
てか中世の欧州まじ未開で弱小杉

15963:名無し@まとめでぃあ2013年06月08日 20:15:19

フビライからしたらジャマな南宋人どもを排除できたんだから
勝敗はどうであれ目的は達してるんじゃね

15964:しあわせななしさん2013年06月08日 20:25:24

俺が聞いたのは
一回目:そもそも侵略する気なし。脅しの意味でちょっかい出して帰る

二回目:既に侵略のための人間と資材を積んだで来たものの、思ったより日本人が抵抗。
ダメ押しで台風来て帰らざるを得なくなった。

三回目:計画はあったものの、ベトナムが元を負かしたため日本へ行く余裕がなくなる。

そして衰退。
って感じだった。
ベトナム人がいなけりゃ余裕で元に支配されてたらしい。モンゴル帝国にもアメリカにも勝つベトナム人スゲー。

15969:  2013年06月08日 22:43:45

実際は戦って防いだのだが・・・
朝廷としては我が呪術で勝ったとしたい
敵が引き上げるとき、偶然、台風が来たし。そうだ宣伝しよう!
武士が守ったのではなく、八百万の神が勝たせてくれた
神風万歳!!

15970:名無し@まとめでぃあ2013年06月08日 22:56:15

>>54死ぬ思いをしたのは朝鮮ルートが使えなくなったから
阿倍仲麻呂を迎えに来た日本の使節も朝鮮をさけて渤海ルートを使ってる。

15971:名無し@まとめでぃあ2013年06月08日 22:58:02

※12
一回目が脅しって説は根拠ないぞ
そもそも脅しが目的なら戦い続けるか退くかで
切羽詰まった会議をしてるのは不自然だし
あとベトナム云々に関してはむしろ日本で大損害を受けたから
東南アジア方面に十分な戦力が回せなくなったって見方もある

15974:しあわせななしさん2013年06月08日 23:23:19

いやベトナムが勝ったからだよ。
日本は追い返したレベルだが、ベトナムは船ごと殲滅した。
白藤江でggrといいかもしれない

15980:名無し@まとめでぃあ2013年06月09日 00:33:04

※16
ベトナムが正面から大勝したのは日本侵攻の後でしょ
それ以前のベトナム侵攻は基本的にベトナム正規軍ぼろ負け→ゲリラ戦でなんとか追い出すのパターン
あと日本侵攻も弘安の役はほぼ元軍殲滅してるぞ
一部の部隊が台風の時逃げてから十万くらい残った軍を、陸戦で

15981:名無し@まとめでぃあ2013年06月09日 00:35:51

軍としてどっちが強いかなんて論じても意味がないと思うの

個人的なアレだけど鎌倉武士ってその後の武士より
好戦的でツヨく恐い感じがするの

重装弓騎兵万歳!

15982:名無し@まとめでぃあ2013年06月09日 00:47:52

揚陸戦なんだから日本軍が完全に有利にきまってんだろ

15989:名無し@まとめでぃあ2013年06月09日 03:12:52

今絵巻の真相知ってショック受けたw
とんでもないとこで切り取ってやがったんだなぁ
元寇にさかのぼってまで自虐教育しなきゃいかんの? 敗戦のせいなのか知らんが
日本の教育も腐ってんだなぁ 

15990:名無し@まとめでぃあ2013年06月09日 04:34:52

資源て言うか奴隷いっぱい取ってこれるね!っていう感じだったんじゃないかな

15992:名無し@まとめでぃあ2013年06月09日 07:19:37

要するにマルコポーロのせい

15994:名無し@まとめでぃあ2013年06月09日 09:11:06

大陸最強が攻めてくるぞ!
 ↓
(戦闘後)思ったより弱くね?
 ↓
俺達、源平軍記の頃より実戦経験少ないし・・・・・・
相手は本気じゃなかったかも(鎌・ω・)(・ω・倉)ネー
 ↓
自虐史観誕生。

15998:名無しさん@ニュース2ちゃん2013年06月09日 10:23:04

元軍の多くが高麗兵だって時点で弱いのは当たり前です。
高麗兵は、壹岐とか島攻撃で圧倒的な兵力差の有るときだけ威張り散らします。 男を皆殺し、女を犯し、子供を含めて捕虜にし、掌に穴を開け船の舷側に吊したなんてのは、百済以来の朝鮮人のやり口だそうです。しかしイザ武士団とのガチの戦闘になると、命惜しさが見え見えの戦いぶりで武士の嘲りを受けています。 白兵戦では相手にもならない弱さ(日本刀の威力もあったけれど)で、結局元軍の捕虜は宋兵は助けたけれども高麗兵の捕虜は全員斬首です。
初戦において日本人婦女子が多数捕虜として連れ去られたので、初期の倭寇はこうした捕虜の奪還目的だったと言われています。
家族を連れ去られたのですから奪還しようとするのは当然ですね。
1回目の元寇の時には最初苦戦しました。日本の弓の射程距離が短かったことや、集団戦法に不慣れだったこともあります。
それでも日本の武士団の勇猛さは凄まじく、相手が偵察目的の元寇1回目だったことも有り、これを持ちこたえました。
そして2回目の元寇では経験から学び弓の射程も伸ばし万全の迎撃態勢をとり元軍の上陸を許しませんでした。日本の夜間元軍船への切り込みは絶大な効果が有ったそうです。武士団の勇猛ぶりは凄まじいものが有ったそうですよ。 相手は素人の徴集兵、日本はプロの戦闘集団ですからね。白兵戦で武士に勝てる道理は有りません。

15999:名無し@まとめでぃあ2013年06月09日 10:55:27

高麗の忠烈王が
「モンゴル皇帝様、私の隣の国の日本なんですが、
戦艦作ってやっちまいましょう。下僕の私にお任せくだされば、
精一杯励みますので・・・」
と働きかけたのが始まりですね。

属国の鬱憤を強者に歯向かう事でなく、
威を借りて隣国に向ける事は
皆さんご存知のとおり、ある意味伝統美を感じますね。

その頃からノリノリで非道だったのは言うまでもありません。
「ムクリコクリの鬼が来る」というあやし言葉が辞書に残るのも、
彼らの非道っぷりがなせる業ですよね。

16000:名無し@まとめでぃあ2013年06月09日 11:28:49

いつまで高麗兵が大半だったってデマ信じてるんだ
割合が多かった一回目でも全軍の1/4から1/3、
二回目に至っちゃ1/10以下だぞ高麗兵は
一回目の遠征の時高麗王が提案したのはほんとだけどね

16001:名無し@まとめでぃあ2013年06月09日 11:37:06

更に言うと、集団戦法に不慣れ云々や日本の弓が弱かったとか今となっちゃ完全にかびの生えた説だぞ
中国人は元寇の時の武士の特徴について「騎兵をよく結束させている」って書いてるしな
そもそもこれよりずっと前から数万の軍隊で戦争やってた日本が
集団戦法に不慣れって不自然すぎるんだよね

16002:名無し@まとめでぃあ2013年06月09日 12:53:27

今だに鎌倉武士の戦争は一騎打ちだったってのを信じてるんでしょうね

16003:名無し@まとめでぃあ2013年06月09日 13:05:08

元寇は時代によって解釈が変わるんですよ
その時代の政治的なイデオロギーに利用されたりねー
江戸時代は概ね武士が頑張って勝っ論が多かったんだっけか。
戦中は神風で勝った論が利用され戦後は自虐史観ですね。

16004:名無し@まとめでぃあ2013年06月09日 13:19:09

元寇のすごいところは自虐史観の史料的根拠が皆無なところ。

文永の役は威力偵察→史料無し
公安の役は棄民→史料無し
元軍はやる気無かった→史料無し
船は高麗人や旧南宋人がワザともろく作った→史料無し

船が頑丈だったとか逆の史料ならいくらでもあるけどなw
要するに「武士が実力で勝った」というのがどうしても気に食わない連中がいるってこった。

16008:名無し@まとめでぃあ2013年06月09日 14:40:13

※16004
外国に注文された船をワザと不良品に作ったことに関しては
史料は無くても近代から現代の朝鮮の輸出製品を見ればおのずと分かる
ってことじゃないの?

16009:名無し@まとめでぃあ2013年06月09日 14:58:20

wiki参照


東路軍も台風により損害を受けたが、江南軍に比べると損害は軽微であった[32][36]。その理由を弘安の役から11年後の第三次日本侵攻の是非に関する評議の際、中書省右丞の丁なる者がクビライに対して「江南の戦船は大きな船はとても大きいものの、(台風により)接触すればすぐに壊れた。これは第二次日本侵攻の利を失する所以である。もし、高麗をして船を造らせて、また再び日本に遠征すれば、日本を取ることができる」[263]と発言しており、高麗で造船された戦艦に比べて、江南船は脆弱であったとしている。また、元朝の官吏・王惲もまた「唯だ勾麗(高麗)の船は堅く全きを得、遂に師(軍)を西還す」[264] と述べており、高麗船が頑丈だったことがわかる。それを裏付けるように、捕虜、戦死、病死、溺死を除く高麗兵と高麗人水夫の生還者は7割を超えていた[32]。なお、考古学においても、多くの元軍船が沈んだ鷹島沖海底で見つかっている陶磁器などの元軍の遺物は、ほとんどが江南地方で作られていたことが判明しており、高麗産の遺物は発見されておらず、高麗船が頑丈だったとする諸史料を裏付けている[265]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/元寇#.E5.BF.97.E8.B3.80.E5.B3.B6.E3.81.AE.E6.88.A6.E3.81.84

16015:名無し@まとめでぃあ2013年06月09日 16:29:51

もう、ほんとイデオロギーで凝り固まってるわ。
日本の歴史って。

まあ、蒙古襲来とか言ってる時点でお察しか。

16037:名無し@まとめでぃあ2013年06月09日 22:28:37

神風のベースになってんのは自虐史観・・・というか、武士の力で元倒した!武士最強!ってかもう全部武士でいいんじゃね?ってなったら朝廷勢力が困るので、そっちの顔を立てた結果でしょ。
『神に守られた特別な国』って概念はベタだけど強力な権威喧伝の材料にもなるしね。

16038:名無し@まとめでぃあ2013年06月09日 23:06:19

大陸の楽園のイメージである緑に溢れ水の尽きることのない温暖な土地って日本の話から膨らんだものだからな
ゾロアスター教のワークワークってモロに日本のことだし

16156:名無しさん@ニュース2ch2013年06月11日 15:57:31

徳川家の征夷大将軍の就任と世襲の口実に外国勢力から日本を守るという理由で外国からの侵略である元寇関連の絵や文章を恐ろしい内容に変えた

16710:名無しさん2013年06月18日 04:16:19

戦前は武士の大和魂を評価したり(軍歌にそういう内容があるj)、神風や皇国史観の為に台風あげつらったり錯綜してるね

戦後は完全に自虐史観

17947:名無し@まとめでぃあ2013年07月05日 18:22:59

※16000
君こそ嘘を書くのはやめなさいよ。

いや、主力は高麗人(朝鮮人)だよ。
戦闘員・水夫を含めると以下になる。
この時代は水夫も戦闘員になることも珍しくない。

高麗人 文永では15000人 弘安では27000人
東路軍 文永・42%高麗人 東路軍 弘安・67%が高麗人

最近、朝鮮人は少なかったと在日とサヨクが
多用してるから注意。

18249:名無し2013年07月08日 17:14:39

文永は水夫入れてもまだ蒙古漢軍のが多いし
弘安は東路軍だけで語ってるのが

18303:名無しさん@ニュース2ch2013年07月09日 10:35:31

水夫をだせるっちゅーことは、
軍船を航行させること。
軍勢を海外に出せること、これは立派な主力。
国力を形成している。

よって兵+水夫で、なんら間違いはない。

蒙漢25000 高麗人14700=39700人。
高麗人比率37%

弘安では高麗人は東路軍40000人=27000人
高麗人比率67%

過大どころか、積極的に日本侵略に加担している。

18320:名無し@まとめでぃあ2013年07月09日 17:41:41

理屈や資料がどうあれ、神風が吹いた事が大事。 護國鎮守の神々様がおはすれば神州不滅は絶対と思うのは至極当然、もちろん日本が蒙古撃退の準備そして努力を怠らなかったからこその天佑神助

21804:名無し@まとめでぃあ2013年08月08日 18:44:26

特ア人は昔も今も役に立たない豚どもだなwwww

27019:名無し@まとめでぃあ2013年09月08日 21:38:09

そもそもこの記事のトップにある蒙古襲来絵詞の画像

竹崎季長と対面している元兵三人は明らかにタッチが違って後世の加筆だし
この三人は資料価値がないとされている

27020:名無し@まとめでぃあ2013年09月08日 21:43:33

神風で勝った神の国日本スゲーだと奴らに自力で勝てなかったことになるし
自力で勝ってた日本スゲーだと神風rだし
ネットで真実の皆様、痛し痒しですなぁ

27026:ある名無し2013年09月08日 22:17:50

自虐史観の影響て言われてるけど、実際はちょっと違うからね。
明治に入って、天皇age武士sageになった名残だからね、教育における元寇の中身については。

27035:書記長2013年09月08日 23:03:08

あと、一番のお手柄が武士じゃなくて神仏だということになってしまったから、幕府によって寺社興行法なんて法令が制定されて、命がけで戦った武士たちが土地を奪われるとか意味不明な事態すら発生している訳で、自虐の始まりは実は鎌倉にいた幕府首脳連中だったりする訳だ。

27075:名無し@まとめでぃあ2013年09月09日 04:09:23

『八幡愚童訓』によると蒙古弓は威力が弱いが毒を塗ってそれを補っていたとしている

27099:名無し@まとめでぃあ2013年09月09日 10:15:51

「日本の自虐史観」って発想がまた自虐だよなあ。
「世界と比べて日本人は自国に誇りを持ってない」というイメージが先行してる。

イデオロギーに影響されない歴史なんて存在しないだろ。

27742:名無し@まとめでぃあ2013年09月13日 14:19:35


※27020
在日サヨク乙です。
真実ねぇ? 元寇とは違うけど、同じ朝鮮絡みなので偏向されることの多い文禄・慶長の役関連だが、
こんなこと↓一般の書籍やまして教科書にはぜーったいに載らないよなw それもしないでシンリャクガーの連呼だからお前らはおかしいんだよ。

朝鮮出兵で秀吉軍勢力地に、どんどん逃げ込む朝鮮人民衆が当時の朝鮮の記録に記されています。
town.zaq.ne.jp/u/es1772329/i5eiffcerk3c2n

そして朝鮮人と左翼が「日本軍の残虐性」ばかりを強調する慶長の役にも
日本軍に味方する村々や人物がいたと朝鮮の記録に記されている↓
town.zaq.ne.jp/u/es1772329/i5eiffcgggz3w9

更におまけに↓
宣祖実録の記録と、小西行長とその将兵から聞き取りしたフロイスの記録に残る、
日本人に成りすまして、略奪暴行する朝鮮人の記録↓(今も昔も変わらないね)

唐武陣 文禄・慶長の役の偏り2 民衆の騒乱
town.zaq.ne.jp/u/es1772329/i5eiffcvk4n5gd

28959:名無し@まとめでぃあ2013年09月21日 14:28:04

※27742
や、図書館にあった一般書籍に普通にかいてあったが・・・
だからネットで真実rとか嫌味言われるんだろうに。

30873:名無し@まとめでぃあ2013年10月01日 19:55:32

※28959
その書籍名と著者、そして、
そのページを教えてくれ。

俺が27742の内容と検証するから。

たぶん、君が見た内容ってのは、曖昧な記述程度だろうけどね。

35828:名無し@まとめでぃあ2013年10月31日 03:07:21

※28959
それなにり本とかテレビで朝鮮出兵関係を見たけど、
URL先の内容は【一般の本】や【テレビ】では見たことないな。

兵や民問わずに豊臣軍統治区に逃げまくって
農耕したり、商売したりして賑わっていて、
李朝が民の流出が止められなくて苦慮してるのが記されてる。
しかも第二次出兵の直前まで。

第二次出兵で、全羅道の宝城、長興、康津、
海南、務安の住人が豊臣軍に味方したって記録は読んだことない。
それどころか、ナデギリガー、ギャクサツガーなら散々、
読まされたり聞かされたりしたけどな。

ここまで書かれてるの読んだことねーぞ。

39458:名無し@まとめでぃあ2013年11月16日 09:05:01

知らないくせにわかっているように語るやつが多くて困る。

明治時代の教科書には文永の役において、日本軍の奮戦で撃退したとちゃんと書いてたのに、大戦末期の教科書に神風が登場して以来、それを踏襲したのは戦後日本。

どころか、一騎打ちを武士がしたなど嘘を載せ、蒙古襲来絵詞をトリミングしてまで「武士は弱かったけど」という尾ひれをつけたのは完全に戦後歴史教育だ。

これが自虐じゃなくていったいなんだというのだ?

52083:名無し@まとめでぃあ2014年01月07日 19:44:18

元寇で攻め込んできた大陸兵はモンゴルを散々苦しめた渡河、渡海戦のエキスパート(勿論士気も高い)
そんな連中が、夜になったんで船に戻りますね、とか言う筈がないのであって…

神風みたいな妄想を信じるから大戦で国民が悲惨な目に合うことになったってのに

53127:名無し@まとめでぃあ2014年01月12日 02:24:56

※52083
妄想乙。

戦意高揚の宣伝としての神風がでたのは、
戦争末期だぞ。

別に宣伝があろうがなかろうが、戦争は以前から
していたわけであって。

56098:名無し@まとめでぃあ2014年01月26日 13:11:19

・天気が悪かったから負けた
・補給が追いつかなかったから負けた


これが敗戦の言い訳になるなら大日本帝国も運が良ければアメリカに勝ってたということになるなw
戦艦大和の特攻なんか、空が晴れてたらもっと善戦できたって話だし
まーつまり、戦争考察において言い訳めいた要素を挙げるべきじゃないってことさ

56513:名無し@まとめでぃあ2014年01月28日 11:04:30

※56098
理由を考察して実証していくのが、
政治、経営、軍事、または個人の人生において
ごく当たり前のことなので言い訳とは違うんじゃないの?

結果だけみて、その経緯を完全に無視するには
あまりにも勿体無い題材ってゴロゴロしてるからね。

58056:名無しさん@ニュース2ch2014年02月04日 22:15:31

これは自虐史観の影響ばかりではなさそうでだな。ただこういったものも史料に基づいて、正確な解釈に変わっていくと良いな。
神風どうこうが無くて残念だなとか言ってるやつ居るけど、神風が神の力で吹いたなんて未だに信じる日本人は居ないだろ。

68033:名無し@まとめでぃあ2014年03月23日 12:07:39

まあどっちにしても攻めてきたのはあくまで「世界帝国」モンゴルであって、負け犬漢民族と更なる負け犬朝鮮民族には何の関係も無いことさね。
モンゴル以前に契丹にも女真にもしっかり征服されてただろ。所詮奴らの実力などその程度。
本件に関しては火病を起こす資格も無いはずなんだが?

80411:名無し@まとめでぃあ2014年05月22日 02:49:17

>>68033
ところがどっこい、韓国人はこう主張している
「平和民族である朝鮮がモンゴルの侵略を阻止するためにわざと軍船の工期を遅らせ、戦争に抵抗した」
「そのおかげでモンゴルは本気を出せず、日本に敗北した」
「つまり今の日本が存在しているのは朝鮮のおかげ」
「そんな朝鮮に感謝しろ!」
ってね。ハハハ……これマジなんだぜ…

85690:名無しさん@ニュース2ch2014年06月15日 01:59:56

そもそもの発端は日本が南宋に大量の金を輸出して文化財を買い漁った事
これでモンゴルに侵略されていた南宋が長く持ち堪える事が出来た
その補給路を潰してさらに金を手に入れるのが元寇の目的

95826:名無し@まとめでぃあ2014年07月29日 07:17:34

コメ欄が本スレに比べて感情論の多いこと多いことw

左翼連呼してる ネ ト ウ ヨ さ ん もうちょっと頭を冷やしてみては?(爆笑)

95874:名無し@まとめでぃあ2014年07月29日 12:56:05

※95826
議論ってこんなものだよ。
この程度で感情的だとか言ってたら、
弁論部は当然、外国人とも話せない事になる。

それに君の言う感情的とやらがどのレベルからか
知らないけど、全員、筋は通ってるじゃん。

あと左翼連呼とは言うけれども、
史実と違う変なイメージを作り出しているのは、
紛れもなく左翼学者や左派メディアであり、
それに嬉々として乗っかっているのも、左翼系思考なのは
動かしようの無い事実だしなぁ。



95911:クネ2014年07月29日 15:31:22

最後にとらえた敵兵を片っ端から斬首するのが痛快だね。
南宋人だけ命を助けたんだよね。
もちろんチョンどもはすべて首をはねられた。

95955:名無し@まとめでぃあ2014年07月29日 18:45:01

※95911
文永と弘安の役で、東路軍は、高麗兵を中心に
対馬、壱岐、鷹島で残虐行為を働いてるからね。

1279年まで存続していて、弘安の役で
大々的な戦闘も行わなかった旧南宋軍とは
感情が違って当然。

101407:名無し++2014年08月20日 07:08:23

過去の文献読むとつくづく日本人は戦後と戦前でまったく別の民族だと
有事の際には自分も勇敢でありたいものだw

102622:名無し@まとめでぃあ2014年08月24日 19:08:12

まあ当時から日本が豊かだったのは本当だろうね。
フビライマジ切れの弘安の役でも、遠征軍は
「数で」負けてる。
台風来なくても物量作戦で勝敗は決していた。
高麗みたいな弱小・極貧の国なら到底そんな大軍は編成不可能。
日本が大国だった証拠さ。大国ってのは必ずしも領土の広さだけじゃ決まらないんでね。
フビライが想像したより、日本は人口も多く且つ生産性が高く、よって軍事大国だったってこと。

104278:あ?な?2014年08月31日 10:38:44

モンゴル人には船を扱う術がなく、宋人を使っていた
宋人は仕方なく参加していたので、漂着した宋人は保護された
モンゴル人と、自らすすんで参加した(日本も攻めるよう唆した)朝鮮人は斬首された

139080:名無しの壺さん2015年02月09日 20:47:09

ベトナムすごすぎわろた

153417:名無し@まとめでぃあ2015年05月06日 18:23:44

教科書のあの切り取った絵はさすがにひでえな
と俺も思うわ
日本を弱く見せたいってのがいきすぎてる

196363:名無し@まとめでぃあ2016年09月12日 12:41:11

モンゴルの軍の強さは弓騎兵の軽快な機動力と優秀な合成弓を使った射撃で
野戦において損害無しに一方的に兵を削っていくチート的な戦法にある
遊牧民族ならではの幼い頃から騎乗技術と射撃技術があってこそ生まれた強さ、一騎当千の活躍をした
一人あたり7,8頭という豊富な代え馬を従えて行軍していたこともあり
馬の消耗による戦力低下は期待出来ず、
当時の大陸の野戦においては敵無しの状態だった

文永の役の絵図を見ると元軍も少数ながら馬を持ち込んでいる様子は見て取れる
本来ならモンゴル弓騎兵が少数でも投入出来れば
度重なる陣への一方的な騎射で敵士気を挫き、隊を崩壊させ
そこへ歩兵を突っ込ませるという黄金パターンで勝利を掴めていたはず

ただ当時の日本も珍しく「重装備」で「騎射」を行う騎兵という特殊な兵科を備えていた事と
飛距離、殺傷力が元軍が使っていた合成弓と遜色ない和弓の装備がされていた事で
少ない弓騎兵では一方的な損害を与える事が出来ないばかりか
逆に貴重な弓騎兵に損害が出るという計算の狂いが生じたのかも

文永の役では元軍が
赤坂→鳥飼潟→百道原・姪浜と何度か後退し
結果船上、そして戦場自体からの撤退を決断させている

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